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日本帰国の目的、実家を片付ける、の巻。

日本帰国・メインの目的、実家の整理について今回はレポートするつもりで書き始めたところ、長くなってしまいました。

色々、後悔ブログでもあります。ご了承ください。

3年前の2019年の10月、怒涛のように実家を離れ施設に移った母と祖母。

それからコロナ騒動もあり、空き家のまま手付かず、3年が過ぎてしまいました。

家具付きで処分するにしろ、ある程度の骨董品は売りに出そう。

ついでに少し掃除をしておこう、となり片付けにいたりました。

2018年の家の状態。。。

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祖父の状態が悪くなった2018年頃から家の中の状態は酷く、洋服や物が床中に所狭しと散らかっていました。

その状態を知りながらも帰国したときに目をつむっていた自分がいます。

祖父が喉を詰まらせて救急車で運ばれたときには、家の中が真っ暗で生活できる状態ではなかったそうです。

きっと祖父の状態が悪くなってからは誰も電球を変えることもできずに、電気が消えていく生活を送っていたのだと思われます。

祖父の49日で帰国した時も電気はまだついていませんでした。

旦那と力を合わせて、ある程度の生活が送れるまでの状態にしてフィンランドに帰国しました。

現実逃避をした2019年の単身帰国。

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その後、仕事を辞めて単身で帰国した時はそこまでひどい状態ではなかったので、多少の片付けをしてフィンランドへ帰国。

それでも、家が荒廃する予兆はありました。

次に家族で来たときには、恥ずかしながら自分の時間を楽しみ、実家に帰ることもままなりませんでした。

現実と向き合いたくなかったのです。

あの時私がもっと積極的に助けていたら、違う現実が待っていたのでしょうか?

わかりません。

母の緊急入院のニュース

その後、母が救急搬送された、という報告を受けたのはフィンランドへ帰国後、2019年の9月でした。

猛暑を超えた実家を訪れたところ、春までとはうって変わり、ひどい状態でした。

祖父の死後、ほとんど寝たきりのような生活を送っていた祖母、生活保護を受けて自活能力のなかった母。

祖母が切り盛りしていた家が崩壊してしまったのです。

春の時点でなぜ気付かなかったのか?私も甘かったのです。

そして、現実から目を背けていたのです。

当時の状況はあまりにひどく、ここには記すことができません。

というか詳しくは覚えていません。

2日間実家で生活をした後、顔じゅうに湿疹が出ました。

その日が、私が過ごした実家での最後の1日です。

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当初は母の状態があまりひどくない、と見込んでいた私は実家に帰ってくると信じていました。

戻ってきた時に生活ができるだけの状態にしておこう、と叔父叔母、その家族も巻き込んで実家の大掃除が始まりました。

あの大掃除があったからこそ、3年の空き家に耐えられたのだと、信じています。

しかし、母の状態は良くなく、酸素ボンベと車椅子が必要になるだろう。

との診断を受け、急遽介護施設に入ることになったのです。

2019年10月、介護施設へ入居する。

色々後悔もある2019年ですが、母の救急搬送があったからこそ、ひどい状態から抜け出せたのだと信じています。

母は施設に入ってから3年間、友達やスタッフの方々に恵まれ、幸せな時間を過ごしたのだと思います。

当時、奔走していた私の記憶も祖母にはありません。

介護施設に入居した時点で、私がその前に実家にいた記憶すらありませんでした。

祖母の身体だけがこの世にあって、気持ちはすでに旅立ってしまったのだと気付いた瞬間でした。

話は逸れましたが、本題の実家の片付けに戻って。

実家の片付けを始める。

当初の予定ではいるものといらないものの仕分けをして、あとは処分してもらう予定でした。

それでも。

片付けを始めると、結局のところ、色々と見たくなってしまう、というのが人間です。

叔父叔母の助けを借りてスタートした片付け。

骨董品の処分からスタートし、最後はいらないものが大体ゴミに収められ、以前の実家の状態に近くなりました。

それでも、生まれてから育って来た実家が壊れ、その現実から逃げ出した私には、家と向かい合うのが懐かしくもあり、苦しくもありました。

祖父の状態が悪くなってから、家の中で起きていたことは想像することしかできません。

介護の助けも断り、家族と最期の数年を過ごした祖父は幸せだったのでしょうか?

介護した母と祖母は満足して祖父を送り出せたのでしょうか?

祖父の残した記録の数々

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書類の山の中から、薄れゆく記憶の中で祖父が記していたノートがありました。

真面目でとにかくキッチリした性格の祖父は、自分の記憶が薄れていくことを恐れていたのでしょう。

以前に比べると迷いのある字が、祖父の不安感を表しているかのようでした。

戦後の高度成長期にバリバリと働いてトップまで登りつめた祖父。

戦時中に育った世代の祖父母はとにかく多くのものを集め、使い切れないほどのものが。

本来であれば、息子や孫が引き継ぐべき家なのでしょう。

それでも、私たちは家を出て、残ったのは祖父母と母でした。

残された家に待ち受けるものは。。。

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行き場を失ってしまった祖父母の思い出の家。

この実家から祖父母の生活がスタートし、この家をどれだけ愛してきたか。

家を守ろうとどれだけの努力をしてきたのかも知っています。

一代で築いた祖父母の思い出の地を、更地にして無かったものにするのは心苦しいものです。

老いる前に、自身の家の処分も考えておかなければいけないのだと考えさせられました。

自分の子供には同じ思いはさせたくない、と思います。

フィンランドの家族にとっての実家

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旦那や息子にとっても思い出の地であることには変わりありません。

息子が生まれてから実家で過ごした数年を思い出すと、やはり涙がこぼれます。

いまだに実家に戻りたいという息子。どこまで本当かわかりませんが、彼にとっても日本の思い出の地は実家なのでしょう。

次の帰国では息子も3年ぶりの実家です。

最後にいい思い出を少しでも残せたら、うちの祖父も喜んでくれるのでしょうか。

それが少しでも祖父への親孝行になるのだと、願わずにはいられません。

フィンランドの父の日の今日、祖父へ想いを馳せます。

本日もセンチメンタルブログ、お付き合い下さった皆さま、ありがとうございました。

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