今回は博物館で収集したギリシャ小ネタ集・1。
オリンピックについて
オリンピックと深い関わりがあるロドス島ですが、古代オリンピックの会場オリンピアがロドス島にあるわけではありません。
まずは簡単にオリンピックの起源について調べてみました。
古代オリンピック
オリンピアにはゼウスを祀る神殿があり、オリンピア競技はゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされています。
つまりは宗教的祭典として誕生したのです。
こちらの歴史も古く、紀元前776年より始まった記録が残っていますが、おそらくはその前から始まっていただろうとのこと。
そして、当時から4年に1度の競技会。
そして、優勝者には名誉として、オリーブの葉の冠が授与されました。

こちらの冠は近代オリンピックとして再開され、2004年にギリシャで開催された時に、メダルの代わりに授与されました。
素敵ですね!
そして古代オリンピックに話は戻り。
1000年以上に渡り、行われてきたオリンピックですが。
次第に参加国が増え、不正や賄賂などが蔓延するようになってからはオリンピックとしての価値が下がってしまったのです。
そして、392年キリスト教が国教と認められます。
異教の祭典であるオリンピックの開催が禁じられ、393年に開催されたのを最後に、古代オリンピックの歴史は終わりを告げます。
そして時代は過ぎ、1500年以上経った近代に、再度オリンピックを見直す動きが出てきます。
近代オリンピック
フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵が、古代オリンピックの復興を呼びかけたのです。
そしてついに!
1896年、記念すべき1回目の近代オリンピックがアテネで行われました。
オリンピックの概念自体も古代オリンピックとは多少、違うもの。
オリンピズム(オリンピック哲学)が目指しているのは、平和な世界を実現し人間の尊厳を護るためには人類の調和的な成長が必要なので、そのためにスポーツを役立てることである。近代オリンピックは平和の祭典であり、単なる総合スポーツ大会ではない。
ウィキペディア、近代オリンピックより
今おなじみのシンボルマーク、五輪は近代オリンピックに誕生した、というわけです。

しかしながら、初回の1896年はアテネであったものの、その後は100年以上ギリシャは主催国にはなりませんでした。
そして2004年についに!
待ちに待ったギリシャでの開催が実現したというわけです。
ロドス島とオリンピックの関係
話はロドス島に戻ります。
ロドス島出身、ディアゴラスという人物がオリンピックの歴史に名を残した人です。
この人物は紀元前5世紀ほどに活躍したボクサー。
そして、何がすごいかというと、自分がオリンピックに優勝しただけならまだしも。
3人の息子もオリンピックの優勝者、さらには孫の2人も優勝するという3代にわたる栄光を築いたのです。
ロドス島で英雄として崇められ、彼の銅像もあります。
銅像はディアゴラスの息子2人が同時優勝した時に、息子に掲げられた姿。
この時の優勝にはこんなエピソードも。
息子が2人同時優勝するという名誉を得たディアゴラス。
観衆の一部からはこんなことを言われたとか。
Kátthane, Diagóra, ou kaí es Ólympon anabēsēi
ウィキペディア、ディアゴラスより
今ここで死ぬんだ、ディアゴラス!他ではオリュンポス山に上り詰めることはできない!
なぜ、そんな言葉を投げられたのか?
答えは当時のギリシャの信仰にあります。
古代ギリシャでは、幸福の絶頂期に死ぬことが幸せだと考えられていました。なぜならば、いつ、この幸せから突き落とされるかわからないからです。
そして、ディアゴラスさんはこの後すぐ、本当に死んだとか、そうでないとか、真実は知られていません。
このディアゴラスさんは英雄として称えられ、ロドス国際空港の名前にも、ロドス島のサッカーチームの名前にもなっています。
古代オリンピック競技
当時、実際に行われていた競技はどんなものだったか、簡単に紹介します。
そして。
このオリンピック、全裸で行われていたということもびっくり。
神聖な場所で行われる、神聖な競技、ということで、全裸、で臨んだそうです。
ということで、女人禁制、入場自体も禁止されていたのです。
その中で例外として認められていたのが、ディアゴラスの娘、カリアパテリア。
なぜならば、父も、兄弟も、そして子供までもがオリンピック競技の優勝者だったからです。
最初聞いた時はクレオパトラかと聞き間違えてました。
クレオバトラすごい!と思いましたが。
よくよく考えてみれば、時代背景も、場所も全く違うので、いつもの歴史知らなすぎの、勘違い。
でも、名前、ちょっと似てますよねぇ。英語のリスニングにも問題ありです。。。
話は戻ってオリンピック競技について。
レスリング
こちらは体じゅうにオリーブオイルを塗りたくって、競技に臨んだとか。
人の手を掴むにもツルツルして大変だっとということで作られたのが、こんなもの。
これを手に巻いていれば、掴んでも滑らない、そうです。
そして、競技終了後には体に塗りたくったオリーブオイルは回収され、陶器でできた瓶に回収されます。
勝者のオリーブオイルは高く売られたそうです。
使用目的は主に薬。
そのオリーブオイルを使ったら、自分も強くなれるんじゃないか、という願望と、健康のために使用されたとか。
汗と体臭の混ざったオリーブオイルは薬としても飲みたくないですね。。。
槍投げ
このように、人差し指と中指に紐をかけて槍を投げるのですが、これにはとんでもない危険が!
すごい勢いで投げるので、指がもげてしまったり、折れてしまったり、そんな痛そうなことが度々起きたとか。
ということで、現在はこのようなスタイルの槍投げは行っていません。
走り幅跳び
この謎の石の正体は?
絵を見ればわかるかとも思いますが、この石を両手に持って、助走を付けながら飛んでたとのこと。
なんだか想像はできませんが、平均1.5キロぐらいの石を両手に持ちながら、危なくないのでしょうか?
大きいものでは5キロあったとか。
そして、こちらも当然のことながら、現在の幅跳びで使われることはありません。
他にもランニング、円盤投げなどなどありますが、今回はガイドさんが話してくれた面白い競技について紹介しました。
平和の象徴、オリンピック
古代オリンピックの時代も、オリンピックは平和の象徴であったことには変わりありません。
オリンピックを挟んだ期間、どんなに他の国との争いごとがあったとしても、競技期間中だけは休戦したということ。
なぜなら、全知全能の神ゼウスにスポーツ競技を捧げる祭典、その間に人々が争っていたのでは神の怒りに触れると考えたためです。
そして、昔の人々はオリンピックを楽しみに、4年間を待ちわびたのです。
しかし、4年間をどのように数えていたのか?
どこかの長老が、カレンダーをつけていたのか?
いやいや、こちらも面白い話を聞きました。
オリンピックの開催日をを知るために、ギリシャの人々はコンピューターを作り出したというのだから、あっぱれ。
それも、元々はロドス島から発明されたのではないかとも言われています。
その名もアンティキティラ島の機械。
アンティキティラ島の機械
アンティキティラ島近くの沈没船から見つかったため、その名がついています。
発掘されたものはこの写真のものですが、完成図はもう一枚の写真のようなかなり複雑なものだったのではないかと予想されています。
こちらの機械も紀元前に発明されたものですが、同様のモデルを使った機械は以後1000年経つまで登場しなかったとか。
とても説明が難しいので、YouTubeのビデオを載せておきます。
日本語でも見ることができます。
この機械ひとつで、月、太陽、その他の惑星の位置を知ることができ、日食や月食までも予測できたとか。
それを使って4年後のオリンピックの日付を予想していたというわけですね。
当時の人々のオリンピックに対する熱意を感じます。
このようなハイテクが2000年前にすでにギリシャでは発明されていた、ということにも頭が下がります。
平和を願う日々

そして、古代オリンピック1200年の歴史中、人々は平和を守り、一度たりとも中止がなかったそう。
その後、近代オリンピックが復活してから約100年の間には、2回の中止。
そして現在も、世界では戦争が繰り広げられています。
私たちも当時のギリシャ人のあり方を、考え直す時期なのではないでしょうか?
世界平和を心から願います。
今回はオリンピックについて紹介させていただきました。
楽しんでいただけたでしょうか?
そろそろギリシャネタも尽きてまいりましたが、次は博物館で得た小ネタ情報・2をお送りします。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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