前回、新年の抱負ブログを書いてから2カ月近く経ってしまいました。
多少ブログをサボっていたようにも思えますが、ライティングのお仕事は続けていました。
そしてもう一つのミッション、相続も今日サインをすれば終わります。
長いようで短かった2カ月、これが終わればフィンランドへ帰れます。
解決したこともあり、まだペンディングになっていることもありますが、とりあえずは少し肩の荷が下りました。
新しい出会い

というほど大げさなことでもありませんが、親戚のご縁がご縁を呼び、多くの親戚の方々に助けられました。
相続のその字もわからない私が、大きなトラブルなく今日を迎えられたのもある家族の支えがあったからです。
もともとの出会いは4年前の夏にさかのぼります。やはり親戚を通じて知り合ったのがきっかけでした。
自分で調査をすれば解決できる話でもありますが、どうも相続関係は読んでもわからない資料が多く、どこから手をつけていいのかも途方にくれていた矢先に、
彼女たちが助け舟を出してくれました。
母の相続に関しては彼女だけではなく、相続のプロ(お仕事ではありませんが)のお兄さんにお手伝いいただき、何もわからないところからのスタートでした。
はじめはチンプンカンプンだった私に、メモ書きや指示を細かく出していただき、教えられるがままに辿った相続ですが。
スタートから4カ月にして、サインという形にまで辿り着けました。
これもひとえに、2人のおかげです。
2人がいなければ、何もわからないまま、今もさまよっていた、もしくは多大な額を払っていたかもしれません。
感謝してもしきれません。
困ったときはお互い様!が口癖のような本当に人のいい方達で、お仕事・育児の合間に時間をかなり割いてもらいました。
彼らにおんぶに抱っこですっかり甘えてしまいました。
何かの形で恩返しができればなぁ、と思います。
遠い親戚のご縁

彼女たちとの繋がりは、おばあちゃん同士が姉妹という、その又いとこ、なのでしょうかかなり遠い親戚です。
4年前に出会うまではおばあちゃん同士のイベントで顔を見かけてはいたものの、話したこともないほど遠い距離感だったのに。
今はすっかり仲良しになってしまいました。
昨日は、今後の相談と打ち上げを兼ねて、うちの叔父も含めお食事会を開きました。
孫同士では断片的な記憶のカケラが、叔父が加わることで全てが繋がり、とても楽しい会になりました。
祖父母の頃のタブーだったお話も、世代を越え、私たちの耳に届いてきたり。
ひいお爺さんの知らざるべき過去が露出されたり(笑)。
言葉に命を吹き込む仕事

私の文章力ではとても表現しきれない伝説がたくさんあったので、“語り手”を生業としている叔父に、いつか記録に残してもらえたらいいなぁと思っています。
同じ話でも、叔父が話すと話がより生き生きと伝わってきます。
まさに言葉に命が吹き込まれている、というか。
叔父の中で紡がれる言葉は生きて、歩き出す、そんな感覚すら覚えます。
姪の私が言うのもなんですが、美術関係の仕事はまさに天職、美術の素晴らしさを伝えるために生まれてきたと感じることもしばしば。
その叔父の才能を幼稚園の時点で気づいた、我が祖父母にもあっぱれです。
彼の紡ぐ言葉を聞いていると、自分もその物語の中に入り込んだかのような感覚に陥ります。
残念ながら、自分自身は芸術のげの字もわからないので、いつもふーん、ふーん、ときいているだけですが。
家族のアンタッチャブルな話を聞くと、叔父の“語り手”としての才能を再確認します。
祖父母の時代を通じて

私の祖父母、そして母の時代はまだまだ古い文化だったり、戦争があったり、その中で革命的な経済発展を遂げたり、とにかく山あり谷ありの人生の連続だったと思います。
彼らの生きていた時代は、どんな小説よりもドラマよりも劇的でした。
彼らの生きてきた証を、将来に残すためにも、私たちはもっともっと話をしなければいけないのだと、聞かなければいけないのだと感じた一晩でした。
そして、彼らの激動の時代を次世代の人々に伝えることも、4、50代の私たちができることなのではないかと。
理系だからと戦争に行かなかった祖母のお兄さんが、就職数日前に盲腸の手術の医療ミスで亡くなったこと。
不明 – 朝日新聞社「アルバム戦後25年」より。, パブリック・ドメイン, リンクによる
70年代の学生運動に参加していた母が、その時戦いの中で見つめていたこと。
学生運動の後に心が壊れて統合失調症になってしまった母。それでも私のために薬をやめて、私をこの世に産み落としてくれたこと。
今となっては母が、祖母がどんな気持ちでいたのかさえ、憶測しかできません。
憶測しかできなくなる前に、もっともっとご両親の、おじいちゃん・おばあちゃんのお話を聞いてください。
戦争だけでなく、人生を変えるような学生闘争が50年前に起こっていたのだということを、私たちは忘れてはいけないと思います。
何も不自由なく生活している今だからこそ、自由という意味を問いかけてみてはいけないのかもしれません。
そして、自分のアイデンティティーについても。
立ち止まって考えなければいけないこと

ロシアのウクライナ侵攻から早一年が経とうとしています。
何不自由なく生活をしている自分。
その一方で、
ウクライナだけでなく、ロシア人の若者も、生きるべき命が、この戦争のために失われています。
戦争についてあーだ、こーだとは言えませんが、
今、まさに難民として生活している子供達が、安心して眠れる日が来ることを祈らずにはいられません。
戦争を経験した人々が笑って過ごせる日が来ると信じて。

平和について再度考えながら、久しぶりのブログを終えたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。