
気づいてみれば、4月から始めたmiyukivilleが100ブログを迎えました。
すでに半年が過ぎたのかと思うと、早かったような、そうでもなかったような。
半年間に、人生でも早々起こらないようなことも経験しました。
最近はライティングの仕事との兼ね合いでなかなかアップはできなくなりましたが、ちょっとしたタイミングで日記、書き続けます。
日本語を話すこと、日本人であること

ライティングでお金をもらうようになってからは、日本語、母国語に愛着が湧きました。
日本人としてのアイデンティティーを改めて感じた、というか自分は日本人なんだ、日本語でしか自分の気持ちは表現できないのだ、ということを思い知らされました。
日本語の微妙なニュアンスがわかるのは、日本語が肌に染み付いているからなのだと改めて感じています。
逆にフィンランド語はどんなに頑張っても、つまずくレベルが違い過ぎて話になりません。
同じ文章をフィンランド語で書いたら、こんな感じになるのでしょうか。
“フィンランド語はとてもよく勉強した、そして、自分のレベルが低いという自分を気付きました”
同じ文章でもフィンランドで書くと助詞も語彙も全てが足りないことに気付きます。

フィンランドに住んで数年、日本語なんて、日本なんて必要ないんだ!フィンランドで生きていくんだ!と肩肘はっていた自分もいました。
今もフィンランドで生きていくんだ!という思いは変わりませんが、少し肩の力が抜けて、自分なりに頑張れることはして、できないことはできないでいいんじゃん?と思えるようになりました。
実際にフィンランドでめちゃめちゃおっきな壁に立ちはだかったとき、同じことを言えるかはわかりませんが、今は時の流れに身を任せて日々を過ごしています。
昔の思い出が蘇ったきっかけは

現在は色々なランキング記事を書かせてもらっているのですが、その中で登場した和歌山県の温泉特集。
調べているうちに、自分もそのホテルに行ったことがあることを思い出しました。
当時は大学生だった記憶があり、親やら家族やらで旅行するのが面倒になってきた時期でした。
今から思えば、祖父が仕事を引退して、少し時間ができたからみんなで家族旅行でも、と連れて行ってくれたのだと思います。
プチ反抗期だった自分は、和歌山の観光名所も適当に巡って、ふて寝して、温泉に入って、ろくすっぽ話もしなかった記憶があります。
自分の記憶には残っているものは途切れ途切れですが、自分で記事を書いているうちに埃をかぶっていた記憶が少しだけ蘇ってきました。
温泉で肩を並べて祖母と入っていた、その程度ですが。
その時の自分はふくれっ面して過ごしていた、そんな恥ずかしい記憶です。

大学生になって自分の友達ができ始めて、親と過ごす時間なんて必要ない!友達と遊びたいんだ!と自分だけが大人になったと思っていた時期です。
そんな私に、親として優しく接してくれた家族の温かさが蘇ってきました。
ダメダメな私を一生懸命楽しませてくれようとしてた祖父を思い出します。
ふてくされても、優しく見守っていてくれた祖母の笑顔を思い出します。
大学生の時の自分勝手な私、何も考えていなかった私、なんであんな態度でしか家族と接することができなかったのでしょう?
今頭によぎるのは、祖父母への感謝と、自分の子供っぽさへの反省、後悔です。
改めて感じる家族への感謝

失ってみて初めて気付く、家族の大切さかもしれません。
気づけば、日本に残る家族は祖母だけになってしまいました。
寂しい思いをさせているのだろうとは思いますが、今の自分の居場所はフィンランドです。
祖母には遅ればせながらやっとありがとう、と声に出して伝えることができるようになりました。
でも、フィンランドの家族には、まだできていません。
支えてくれる人ありきの自分、それなのに、感謝を面と向かって言うことって難しい。
言わなくても、ちゃんと表現できるくらい素直な人間になれたらいいのですが。

大学生の私と違っているのは、大事なことに気づいていること。
でも、気づいているだけでは何も変わらないのです。
実行しなければ、何も周りには伝わらない、自分も変わらないのです。
苦手を克服するのは難しいですが、自分と向き合って気持ちを人に伝える、努力をしていきたいです。
書くということは自分と向き合うにはいい機会だと、そこからダメなところを見つけて、克服するための第一歩なのだ、と本にも書いてありました。
ダメな私には何度も向き合いました。このあとは、苦手克服へ向けて前に進まなければいけません。
100ブログを書き終えて、少しは成長したのでしょうか?
少しは前進しているのだと信じて、本日のブログを終えたいと思います。
最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
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