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これからも日々精進してまいりますので、今後ともよろしくお願いします。
読んでくださった方、ありがとうございます

2ヶ月ほど前より始めたブログ。
とうとう、50ブログを迎えました。自分の年齢を超えてしまいました。
このブログが50歳になるまで続けられるくらい成功すれば嬉しい限りです。
前回のブログでも書きましたが、50ブログまでは1日1ネタを目標に、書くことが嫌にならないかどうかのお試し期間でした。
仕事から帰って来ても、週末でもパソコンに張り付き2ヶ月間頑張ってまいりました。
これからは少し、ブログ改善のための勉強にも力を入れていきたいと考えております。
ブログを始めたきっかけ

何度か書かせていただきましたが、もともとは自分探しがきっかけです。
今の自分にできることはなんだろう?と考えたときに他の人に誇れるものがあまりになさすぎて愕然としました。
あえて言うなら、大学を卒業してから8年間お世話になっていた漢方薬局で学んだ漢方の知識。
漢方 in English

はじめに思いついたのは。
漢方エキス剤をフィンランドに輸入です。ですが何分にもEUの壁は厚く、検査で引っかかりそうなので行動に移していません。それプラス、現在の世界情勢では輸出入の仕事を始めるには難しそうです。
次に考えたのは英語を使って漢方の魅力を英語圏の人に伝えること。
何を隠そう、こちらがこのブログの一番はじめのタイトルです。
実際にフィンランドに住んでみて、外国の人たちも日本人と同じような医療の悩みを持っていることを知りました。
薬はあまり使いたくない、できれば自然療法で治療したい、未病を防ぐ、と言うような考え方です。

言語の壁で漢方を試せないのだったら彼らに向けてホームページを作ろうか!
日本で働く漢方業界で働く友人などに漢方英語版を聞いてみました。
少ないですが英語も出ていました。一番身近なものではツムラのホームページ。そちらには英語版がありました。
だったら一から英語サイトを作ることもないのか、と思ったのと、やはりたちはだかる英語の壁。
日本語だったら言葉は足りないもののスラスラ書けるものの。英語だと単語を調べて、冠詞を調べて1つの文章を書くにも一苦労。母国語って素晴らしいです。
最後にたどり着いたもの
そこでたどり着いたのが、とりあえずブログ!
日本語でフィンランドのこと、紹介してみようか、と思いつきました。

フィンランドの素敵さを伝えるブログは色々ありますが、生活してみると素敵なことばかりではありません。こちらで長く住んだ経験を生かしてありのままのフィンランドの生活を伝えられることができれば、と思いました。
フィンランドに憧れを持つ方々には、ことごとくそれを打ち砕くようなブログかもしれません。それでも生活してみるとわかってくるダメなところ、それを美化して書くことは到底できません。
かといってフィンランドが嫌いなのか?
イヤイヤ、そんなことはありません。
むしろフィンランドもフィンランド人も大好きです。大好きだからこそ、ダメなことを知っているのです。
憧れだけでは生活はできません。
フィンランドに住んだからこそ、自分と向き合う時間も作れました。
40過ぎてもチャレンジしようと思えました。
そして。

この先、よっぽどなことがなければ、自分はこの国に骨を埋めるのだろうと思っています。
覚悟、というよりもこの国に対する信頼感です。
日本に帰りたくない、と言えば嘘になります。でも、フィンランドが好きです。
外国人に対しても温かい目で見守ってはくれませんが、受け入れてくれます。
子供も旦那もいなくてもフィンランドに残るか?
答えはイエスです。おそらく。。。

現在のことは旦那におんぶに抱っこなので、1人でどこまでできるかは不明ですが(笑)
それでも、フィンランドの保障がしっかりしていて、1人でも生活できるだろうと思えること。
あとは日本で生活している自分の姿が思い浮かばないからです。
日本に2ヶ月ほど帰っていた時期もあります。楽しいですが、何かが欠けている自分に気づきます。
それでもフィンランドに帰ってくると、自分の居場所はここなんだと気付きます。それでも何か足りない。
どちらの国にいても100パーセントの自分になることはもうありません。いや、むしろどちらの国にいても100パーセントなのか。わかりませんが。
日本にいる家族への想い

祖父が2018年にこの世を去ってから、母と祖母は実家を離れ、介護施設に入りました。
失ってみてはじめて気付く、大きかった祖父の存在。祖父がいたからこそ、我が家族は丸くまとまっていたのだと、つくづく思います。生前はそのことにも気づかず、煙たがっている自分もいました。
今になって思うのは、祖父がいた頃はフィンランドに住んでいたとしても、日本に帰れば受け入れてくれる家があったということ。そこに帰れば、母としての自分だけでなく、子供としての自分も存在していました。
今も祖母と母は健在ですが、何か物足りない、私たちの輪が少し歪んでしまったのを感じます。戻る実家がないことももちろんそうですが、祖父を中心に回っていた家の調和が崩れてしまいました。
後悔しないためにも

祖父がこの世を去る前の数年間、自分がしてきたことが正しかったのか、今でもわかりません。ただ、自分が十分に親孝行できていたのか?と後悔することは多くあります。
今でも、祖父の痴呆が悪化する前の、家族での貴重な時間を過ごした風景を夢で見ることがあります。あの時間はもう戻ってきません。あの時に戻って自分に教えてあげたい、これが家族で過ごせた最後の時間なんだよ!ということを。それは今になっても思い出し、後悔することの1つです。その時は気付きもしませんでした。
家族への感謝
祖母と母が健在なうちに親孝行、と思いますが、顔を合わせるとついつい面倒になってしまったり、憎まれ口をたたいてみたり。今までの感謝を言葉にすることもできません。
それができるのが親子、なのですが、本当は面と向かって、お母さん、おばあちゃん、私を産んでくれて、育ててくれてありがとう!大好きだよ〜と言わなければいけませんね。手遅れにならないうちに、後悔しないうちに。今この瞬間は今でしか無いのです。
母となって気付く息子への無償の愛。自分へに向かっても、この無償の愛の矢印が向いていたのだと今さらながら気付きます。父母代わりに育てくれた祖父母、そして姉のようだった母、家族からの愛に感謝せずにはいられません。

それにフィンランドの生活を支えてくれている旦那、義母、息子にもですね!文句は言えるのに、日頃の感謝を言葉にするって難しい。
最後に

日本にいる家族、フィンランドにいる家族ありきの自分。
これからも前に進み続けなければいけません。
このブログはどこに進むのか?そこは全くわかりません(笑)
最後までお付き合い下さった皆さま、ありがとうございます。
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