ギリシャ、ロドス島の歴史について書こうかと思ったのですが!
複雑なことと、古代ギリシャの歴史がうまく繋がらないので、来年までペンディングとさせていただきます。
来年の夏の旅行で、もう少し勉強して来ようと思います。
聖ヨハネ騎士団とオスマントルコ帝国との攻防については、塩野七生さんのこの本が面白いようです。
目次
『ロードス島攻防記』塩野七生
ロドスタウン のブログでも紹介させていただいた聖ヨハネ騎士団がロドス島に本拠地をおいてから200年。
オスマントルコ帝国と聖ヨハネ騎士団による5ヶ月の攻防戦についての歴史小説となっています。
自分自身も読んでみたいと思っています。
オスマン帝国の栄光と衰退を描くこちらの塩野七生さんの作品は3部作で、ロードス島の話は2作目。
1作目は『コンスタンティノープルの陥落』、3作目は『レバントの海戦』です。
キリスト教とイスラム教の歴史に興味のある方はぜひ。
Amazonアソシエイトより紹介させていただきます。
この作家さんは、うちの祖父も好きだったので良く覚えています。
個人的に歴史、特に世界史は苦手分野なので、小説も避けていましたが。。。
これを機に読んでみたいです。
Kindleでは無料サンプルも試せるので、数ページ読んでみてから決めるのもよし。
私もサクッと、サンプルは読んでみて、続きを読んでみようと思っています。
10万以上の兵で攻め込んできたオスマントルコのスレイマン1世。
それに対して聖ヨハネ騎士団の数は約600人。
圧倒的な力の差の中で、5ヶ月に渡る攻防を繰り広げた聖ヨハネ騎士団。
主人公は彼らです。
5ヶ月の戦いの中で何が起きたのか?
興味が湧いてきたのではないでしょうか。
死闘の戦いの末

最後にロドス島はオスマントルコ帝国へ渡ります。
しかしながら、スレイマン1世は騎士団兵たちを残らず排除したのではなく、和平案を掲げました。
その条件は、以下のようなものだったと、ウィキペディアには記載されています。
騎士団は12日以内にロドス島を退去するよう求められたが、この際武器や宗教的な宝物・絵画を持ち出すことを認められるという極めて寛大なものだった。島民のうち離島を望むものはその自由と3年の猶予を与えられ、残留を望むものはオスマン帝国の支配下に入っても5年の間納税を免除された。キリスト教の教会が汚辱をうけたりモスクに改められたりすることもなかった。
ウィキペディア、ロドス包囲戦より
というかなり寛大な措置だったよう。
そして騎士団がロドス島を去る時も。
騎士団旗をはためかせ、ドラムを鳴らし、軍装に身を固めて行進するという、敗者としては異例の名誉の撤退だったと伝えられています。
その後、聖ヨハネ騎士団はクレタ島へ退去し、その後も多くの地を転々とします。
そして、最終的にたどり着いたのがマルタ島。
そこで、繰り広げられたのが、有名なマルタ包囲戰。
ロドス島包囲から43年後、晴れて聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)はオスマン帝国を撃退するのです。
ロドス島を守ることができなかった聖ヨハネ騎士団ですが、マルタ島で彼らの底力を見せつけた、というわけです。
次はマルタ島にも行ってみなければいけませんね。
様々な文化の交わる地、ロドス
色々な歴史の中で振り回されてきたロドス島。
文化にもたくさんの国が混在しています。
ロドスタウン にはオスマントルコ帝国の面影のある建物があったり、モスクがあったりします。

はるか昔より、古代ギリシャやオスマントルコ帝国、ローマ帝国、と様々な国の間をさまよってきたロドス島。
こちらも以前のブログで書きましたが、ギリシャ領になったのは1947年からなのです。
それより前はどこの領土だったのでしょう?
オスマントルコ帝国時代からトルコ領だったロドス島がイタリア領になるのが1912年。
そして、第二次世界大戦の1943年にはドイツ領でもありました。
当時ロドス島にもユダヤ人が住んでいました。
彼らはコス島のユダヤ人一緒に集められ、2100人もの人たちがアウシュビッツの収容所に送られたと言われています。
生き残ったのはわずか150-200人だったそうです。
ギリシャのロドス島でも、苦しんだ人たちが多くいるということです。
忘れてはいけない、2度と繰り返してはいけない過ちです。
終戦とともに、イギリスがドイツ領からの開放をし、晴れて1947年にギリシャ領となったというわけです。
その後はご存知かと思いますが、観光地としていろいろな国の人が訪れる場所となりました。
そしてロドスの中世都市が世界遺産に認定されたのが1988年。
ロドス島はヨーロッパ人気の観光地

今でも、青い空と海、太陽、と古代遺跡を楽しむために多くの人々が訪れ、通年120〜180万人もの人が来ると言われています。
とは言っても日本からは直行でも行けないことから、あまり馴染みのない旅行先。
ちなみに、日本からはアテネ乗り換えになるので、他のギリシャを楽しんで、オプションで興味のある人が訪れるのでしょう。
しかしながら、ロドス島、1日では周りきれないほど、文化や歴史に溢れた島です。
もし、ロドス島に来る際には数日間かけて、色々な遺跡を回ってみるのはどうでしょうか?
今回は行きませんでしたが、遺跡以外にも滝があったり、珍しいチョウチョが見れたりと自然を楽しむこともできます。
他にもワイン畑を訪れるのも良し。
レンタカーしてロドス島を1日かけてまわるのも良しです。
途中でビーチに立ち寄り、泳いでまた遺跡と自然を楽しむ、という贅沢な1日が過ごせること、間違いありません!
ロドス島で見かける観光客
では、どこの国の人がロドス島によく訪れるのでしょう?
答えはこちら。
北欧、イギリス、ドイツなど。
カフェに行くとイングリッシュ・ブレックファーストが置いてあるので、どれだけイギリスの観光客が多いかわかります。

私は今だにあのビーンズが苦手で。。。
しかしながら、これらはホテルにも置いてありました。
イギリスの他に、北欧からの観光客が多いのはお分かりでしょう。
太陽を求めて、です。
多くのお店に北欧の言語のメニューが置いてあり、ウェイターさんがそれぞれの国のメニューを持ってきてくれます。
ドイツ人が多いのはなぜか?そこは謎ですが、ドイツ語のメニューを載せているレストランを多く見かけます。
残念ながら、日本語のメニューはありません(笑)。
アジア人自体見ることはほぼありませんでした。
久しぶりの海外旅行

2012年以来の日本帰省以外の海外旅行!
ということで、程よい緊張感が心地よかったです。
日本もフィンランドも安全な国なので、危険度を心配することはほぼありません。
ロドス島も安全だという空気感はありましたが、ポシェット後ろがけはさすがにしませんでした。
英語しか通じない、(もしくはギリシャ語)というのも旅に緊張感を持たせてくれました。
日本で言語の壁がないのはもちろんです。
フィンランドでは言葉の壁がないことはないですが。
明らかに外国人の顔をして、頑張ってフィンランド語を喋ればある程度わかってくれる、という甘えがあります。
日本もフィンランドも、居心地のいいぬるま湯に浸かっている感じです。
しかし、ギリシャは家族みんなにとってアウェイ。
そして英語は私には若干、苦手分野。
一方、旦那が英語がペラペラなので、色々なところで頼ることができ、ギリシャでは彼の株も上がりました。
今回の旅行での気付き

ほぼ3年間フィンランド内にこもっていた時は、それはそれでフィンランド生活に満足していました。
しかしながら、海外旅行に出てみて改めて気づいたこと。
刺激!
旅行から帰ってきて、いい気分転換ができて、再び人生前向きに進めるようになりました。
などと言うと大袈裟ですが。
旅は心を豊かにする!ということを今回、身に染みて感じました。
ぬるま湯でヌクヌクと生活していた時期は、何かを感知するアンテナが少し弱っていたのかもしれません。

そして、この2年半のコロナ。
どうせコロナだし、と前に向いて努力さえせずにいた自分がいました。
世界中にはコロナだから!と自分のアイディアを次々に成功させた人もいる一方で、何もせずにいた自分。
今回の旅行で、自分を見つめ直すいい機会になりました。
ブログを始めたことも、新しい分野の開拓、などというと大袈裟ですが。
苦手なことにはなるべく正面から向き合っていなかったのですが。
これからは始める前に諦めるのではなく、チャレンジをしてみようと思えるようになりました。
だったらギリシャの勉強して、がっつりブログにしたらいいのでしょうか(笑)。
そこまで頑張れる元気があるかわからないので。
まずは塩野七生さんの本から始めてみます。
思い立ったら実行へ!旅行へ!

そして今回の旅行から学んだこと。
事前調査、勉強も大切だと言うことです。
日本に住んでいた時から数えて、10カ国は旅行しているだろうと思いますが、どこも事前調査をしていませんでした。
自分の好きな場所は自然が多いところ、日本では添乗員ツアーばかり行っていたので、特に勉強していなかったのですが。
今になって気付くこと。
思い出が表面的だったということ。
自分で調べていない旅行についても、瞬間瞬間の感動はあります。
そしていい思い出もたくさんあります。
しかし、昔の人々が同じ場所で何をしていたかなど、想像することはありませんでした。
今回はブログを書くということもあり、そこまで興味のわかない歴史についても色々頑張って調べてみた結果。
ロドス島に愛着が湧きました。
歴史を作り上げた人々への感謝

もちろん全ての歴史については到底網羅できてはいません。
それでも、ロドス島の自分の立っている場所に、数千年前も人が同じように生活していたのかと思うと、なんともいえない想いがこみ上げてきます。
ロドス島の巨人像を建てた人。
ロドス島を攻めて、手に入れた聖ヨハネ騎士団や、オスマントルコ帝国の人々。
そのはるか昔から住んでいたギリシャの人々や神々、東ローマ帝国の人々。
そんな風な考え方ができるようになったのも、勉強して色々知識を得たからかもしれません。
ブログを始めて良かったことは、今までよりも物について調べるようになったこと。
文章力についてはまだまだ勉強中ですが、少しでも皆さまの心に届くことがあれば、嬉しいです。
自分を見つめ直したところで、長く続いた旅行記も一旦終わりとさせて頂きます。
楽しんでいただけたでしょうか?
これからはフィンランド生活について書かせていただきます。
何かを通じて、このブログへたどり着いてくださった皆さま。
今回も読んでいただきありがとうございました。